2カ月でなんと骨折2回!崖っぷちカーセールスライターの左手ブログ!

もう、車業界に身を置いて、22年になります。「カーセールスライター」というのを最近始めて、もう20数件のお仕事をさせて頂きました。ですが、7月に右足かかと粉砕骨折、10月1日に右肘開放骨折。セールスライターであり、現職の職人でもあり、車業界20年にして最大のピンチを迎えた最近、始めたブログです。こののび太のような状況を笑い、車業界などの話しを中心に楽しんで下さい!

懐かしい写真が出てきました、、。

懐かしい写真が出てきました、、。

私が20代半ばの頃の写真です。

 

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まだジムニー専門店に勤めていた時代です。

 

最近は入れなくなったと思いますが、京都の木津川沿いに、ある有名な泥々のオフロードコースの様になった場所がありました。

 

その名も、「流れ橋」、、。

 

そこを走っている時の写真です、、!

 

そこは本当に木製の橋がかかっていて、大雨で木津川が増水したときなどは、過去に本当に流れて行ったそうです。

 

だから、「流れ橋」…。

 

丸太で組んだ、ノスタルジックな外観もあり、よく時代劇のロケ撮影の舞台なんかにも

使われたりします。

 

さて、その「流れ橋」の橋脚をくぐると、半分水の溜まった泥ぬたのオフロードコースが広がっていました。

 

仲の良いお客さんが、この場所が大好きで、

よく仕事の終わった時間に呼ばれたのです。

 

仕事はだいたい20時に終わるので、大阪からこの「流れ橋」までは、どんなに急いでも1時間半ほどかかります、、。

 

それでも現地へ行って、夜な夜なこんな泥ぬたのオフロードを駆け回ります。

 

また、水の溜まった堀が深い!

 

自慢のジムニーも、すぐにスタックします。

 

ですから、ここは単独で来るのは禁物。

 

必ず数台で来て、お互いに助け合わなければコースを出られません。

 

あっちこっちでスタックしたジムニーを助けたと思ったら、今度は自分がスタックする。

 

まぁ、「牽引ロープ」の休まる暇が無い!

 

ただ、この泥ぬたのコースをむちゃくちゃ走って、スタックしたら引っ張って、痛快極まりない!

 

走った後の爽快感!こんな事が出来るのは、「ジムニー」というクロカン四駆に乗っているから。

 

仲の良いお客さんと、仕事終わりに「流れ橋」に集まって、夜な夜な泥々のオフロード三昧、、!

 

ジムニー専門店に勤めていた、20代の私の青春でした。

 

合言葉は、「今晩、飲みに行く?」ではなく、「今晩、飲まれに(泥に)行く??」でした、、。

 

恥ずかしい話し、私が今の嫁と初めて出会った場所も、ここ「流れ橋」でした、、。

 

仲の良いお客さんが、ジムニーも、オフロードも知らない若い女の子を連れてくるというので、私も良いところを見せようと、いつも以上に気合いを入れて走りました、、。

 

ですが、私の格好は、いつも通り「つなぎに長靴」、、。

 

嫁の、私の第一印象は、

 

「どこの農家のおっさん??」

 

だったそうです、、。

 

まさか同じ20代の、1つ年上の男だとは…。

 

当時の20代の男性と言えば、いしだ壱成とか、河合我聞などが代表格。

 

ジムニーと、泥ぬたのオフロードにはまっていた私は、同世代の男性とは程遠い格好をしていました、、。

 

日付が代わる時間までこの「流れ橋」でオフロードを堪能し、深夜1時頃洗車場で泥を流し、そこから1~2時間仲間達と語り合う。

 

家に帰るのはもう朝方の3~4時頃。

 

次の日も仕事ですよ!でも、次の日がちょっと眠たくても、しんどくても、やはり誘われれば現地へ行ってしまう。

 

若かったですね。今じゃ出来ません。

 

私の20代は、本当にジムニーとオフロードと仲間達でした、、。

 

そんな活動の中で撮った写真を、年賀状に採用し、よく友達に、

 

「相変わらずの様子ですね」

 

と言われたものです、、。

 

今回は、懐かしい写真が出てきたので、

自分の過去を振り返ってしまいました。

 

こんな特殊な20代を送った人間も珍しいと

思いますが、こんな私でも、今では家庭を持ち、二人の子供を育てています、、。